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パソコン暗黒の時代(ぷ
i486も普及し始めたがWindows3.1はまだ登場していなかった1992年。
将来のより良い飛躍を夢見て、次へのステップなる大学合格を目指して一生懸命受験勉強し、その傍ら部活動にもいそしみ爽快な汗を流し、異性との交際に花を咲かせたりして青春を謳歌するような高校生では全然なかった俺は、将来の飛躍よりも目先の楽しみを好み受験勉強よりも地学を愛し、汗をかく運動部よりも文化部に入部し、自分の部活の部費欲しさに生徒会役員にまで昇り奇抜な服装や髪形をして生徒指導の先生様たちを煽ったり異性との交際よりも美少女戦士セーラームーンに萌えていたきわめて変わった高校生だった。
イカれた中学生活にも終わりを告げ、なんとか第一志望の高校に入学した俺は親父の会社の伝でワードプロセッサ「ペン書院」SHARP WD-A760を貰った。なんでもペンを標準搭載したのはこのWD-A760が最初だったと記憶している。こいつはワープロのくせに表計算や通信、果ては作成した文書をMS-DOS形式のTEXT文書に変換できる機能をもった優れた機種だった。とうぜん俺はあれ以来パソコンはおろかMS-DOSなんか知るわけもなかったから通信やTEXT変換なんぞはどうでもいい機能ではあった。生徒会の役職柄、生徒会広報を執筆するのにこのワープロは役に立った。何度か高校に持っていったりしたし、表計算機能で家計簿なんかもつくって活用していた。
中学卒業時に付き合い始めたH嬢だが、彼女とは高校が一緒でなく、また彼女がいろんな意味で俺の手の届かないヒトになってしまったのであるときの電話会談で「もうやめるか」と言って別れた。こういう別れかたがいちばん後腐れなくていい。彼女とはそうして別れたものの、今でも良き友人として電話をしたり手紙によるやり取りをしたりしている。
高校の授業のほうはどうかというともちろんプログラミングの授業などあるわけもなく、高校でパソコンを使ったのは3年間のうちただ一度、ホームルームで「コンピュータに慣れよう」とかいうテーマのときだけだった。俺のクラスにはすでにパソコンユーザが何人かいたし、数学部にいるやつなんかはかなりコアな話をしていた記憶がある。当然俺はパソコンがわからないから彼らの話していることもわからないので彼らとかの付き合いはほとんどないままだった。部活は地学部だったが、顧問のM先生が割とマニアック(いい意味で)で、パソコンでDTMとかやる人で、たしかPC-9801NS/Aあたりを使い込んでいる人だった。地学に関する話はしたがパソコンについてはこれっぽっちも話さなかった。
自分の家では親父がPC-9801BX/M2を使って仕事をしていた。CPUはDX2ODP/40MHz、メモリは9.6MB、HDDは240MBほどあり、外付け3.5インチFDDやUPSやらプリンタやらいっぱいついていてどうやらかつてのN88-BASICではなくMS-DOSとかいうので動いているらしいということは親父から聞いていたのでなんとなくわかった。しかしPC-9801UV11とは大きく変わっているのは素人なりにわかった。書店で「ファンタジェンヌ総集編」や「リビドーファンブック」などの18禁ゲームのデモのついた雑誌を購入してみてPC-9801BX/M2で動かそうとした。しかしいずれもデモ版はHDDにインストールしなければならないらしく、また親父はシェルソフト「EO-System」を使っており表にはコマンドラインが出てこないために俺には使い方が全くわからなかった。まあコマンドラインが使えてもDOSコマンドがわからないから結果は以下略(ぉ
H嬢と別れた俺はしばらく独身貴族だったわけだが、ひょんなことからひとつ年上のY先輩と付き合うことになった。彼女は後に別れて再会してオレと結婚して速攻で離婚するわけだが、その時の俺はそんなことはまったく考えもよらなかった。
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