Chapter3 1995

インテルが嫌いです

 i486からPentiumへの移行が進み、Windows3.1からWindows95へと変貌しつつあった1995年。
 進学生の間での大戦争である「大学入試」があった。オレは覚悟を決めて地質学系の国立大学「秋田大学」だけに絞って受験することにした。今までの内申点により推薦を受け、推薦入試をねらうこととなった。念のため、前期も後期も受けるようなスケジュールを立てたが、基本的に推薦入試だけで入学できる見込みがこのときはあった。
 当時の秋田大学の入試(今はどうだかしらんけど)は推薦入試枠も含めて大学入試センター試験を加味する仕様だったため、まずは大学入試センター試験で好成績を収めることが重要だった。ヤマをあてにすることなくまんべんなくテスト勉強に励もうとしたのだが、テスト勉強半ばにしてテスト当日がやってきてしまい最悪の状況でテストを迎えることとなった。
 嫌な予感は得てして的中。大学入試センター試験でボロクソなまでに非常に優秀な点数を収めたオレは、その「非常に優秀なセンター試験の点数」をひっさげて秋田へ向かった。
 推薦入試:不合格。前期:不合格。後期:微分積分嫌な気分、解答用紙半分が「新規テキストファイル.txt」状態で見事に不合格。
 数日引きこもった後、オレは意気揚々と浪人者をエンジョイしていた(ぷ
 あまりに予想通りの展開である。
 「とにかく成績を上げること」。俺はパソコンだのそんなのはもう気にできない生活を送っていた。毎日何が何でも鉛筆を1本使い切る「学習量が目に見える学習法」を実践。予備校教員の「公式は覚えるな。思想を学べ。公式は自分で証明して作れ。自ら証明した公式ならば指導要領を超えたとしても使ってかまわん。使えるものはすべて使え」の思想に共感、元から暗記ができないオレはこの思想により公式を覚えずに数学の成績が著しく伸びた。英語は複数の辞書でエロ単語ばっかり調べたら見る見るうちに成績が伸びた。化学は元々得意だったので全然勉強しなかったのだが、苦手な物理を物理化学の方面から攻略し、数学の思想をもって公式を暗記せずに成績を伸ばした。
 しかし順調な浪人生活に水を挿す人物が登場する。英語教員の「村K(仮名)」の登場だ。
 こいつはムカツク。とにかくムカツクのだ。どこがムカツクかというと、全部(笑 おかげで英語が嫌いになった。
 ちなみにこいつは筑波のインテル本社に勤める傍ら予備校で英語を教えているという。それだけなら頭に来ないのだが、村K(仮名)はなにかに付けて自分の学歴の自慢と偉そうにインテルの宣伝(特にPentiumの宣伝)をする。人を見下したような態度が非常に耳障りで俺は「村K(仮名)=インテル」を毛嫌いするようになった。当時のオレはPentiumとインテルの名前くらいは知っていたが、奴のせいでどちらもイメージダウンが激しかった。
 
 「インテルという会社にはあんなのしかいないのか」
 
 奴一人のせいでオレの中での大企業「インテル」の評価は浪人中に地まで落ちた。その後1999年まで「intel outside」を全面に出し、PC-98のプロセッサを非intel製互換CPUにしたり、CPUをAMDにした自作機を作ったりして「アンチインテル」色を濃くしていたが、2000年の「セレロン狂想曲」の際にあっさりと寝返り、インテルアーキテクチャはPentiumPro、PentiumII、III、Xeon/P4すっとばしてIA-64と熱心なIntel崇拝者になるのだがその経緯は後ほどお話ししよう。
 大学合格祝いに「Pentium搭載のパソコン買ってやる」と改めて親父に言われたのもこの時期だった。
 そしてオレはこの浪人生活の間に著しい成績の伸びを示し、滑り止めから第一志望まで受験した大学の9割に合格したのだが、入学金支払い期限の都合で第一志望ではない神奈川県の某大学理学部化学科へ入学し、パソコンオタクへの道を突き進むこととなる。
 ちなみに当時、オレはまだ先輩とつき合っていた(とオレが思っていた)。


最終更新日時:2004/01/27 16:17:04