Chapter5 1997

鬼のMS-DOS

 Pentiumはすでに旧式のCPUとなり次期Windowsのうわさもたった1997年。
 オレのインポは健在だった(お
 化学技術職や教員などを目指し、実験活動に励んで努力の汗を流し、レポートの文献や講義の内容の話題に花を咲かせ、ときには日ごろの鬱憤を晴らすように酒を飲んで、週末は次の実験に向ける下準備をするような大学生では全くなかった私は、SEやプログラマになることを目指し、実験活動に励むよりも先にネットサーフィンをし、週末は次の改造へ向けての下準備でアキハバラに通い詰め、平日は大学の端末と自宅の端末を往復する日常のみを送っていた。
 俺の愛機のNb7も設備増強を考え、メモリを40MB(最大)まで増やし、HDDも標準の810MBから1.6GBへの増設を経て3.2GBへ増設、それを機にOSもWindowsNT4.0を導入した。SCSIカードも導入し、外付けHDDやCD-ROM、MO、MIDI音源カード、FM音源カード、モデムカードなども次々と導入していった。
 しかしパソコン歴1年目のこの年、俺をさらに大きく変えPC-98逆行への道を加速させるものに出会う。それがMS-DOSだ。親父の仕事の手伝いの都合上、俺もDOSをまじめに使わなくならねばいけなくなったのだ。俺はMS-DOS6.20を購入しNb7/C8に速攻で導入、さまざまなアプリケーションも同時にあわせて購入しすぐさま導入された。俺は死に物狂いでDOSコマンドを覚えて頑張ったが歯が折れた(笑
 にも関わらず贅沢にもDOS上でもSCSI機器等の拡張機器を使いたいと思い、AUTOEXEC.BATとCONFIG.SYSの編集に入ろうとした。が、そこで俺に立ちはだかったのは「バッチコマンド」「デバイスドライバ」「メモリ管理」だった。いままでお仕着せの環境しか使っていなかったオレにはどれも良くわからないものばかりで、バッチも組めねえしドライバは組めねえしメモリの割り当てなんざぁ知るわけもねえ(泣
 そこで俺は、休みの日に実家に帰り、親父の友人のコンピュータ会社の人のSさんに実家に来てもらい、一日かけてMS-DOSの基本から応用についてマンツーマンで教えてもらった。もちろん無料で、である。SさんはDOSでのPCカードの認識のさせ方からメモリ管理までを親切に丁寧に教えてくれた。もちろんこれは1日では理解できるようなシロモンではないから俺は事細かにノートに記述して「MS-DOS虎の巻」なるものを作った。この使い込んだノートぼろぼろになりつつもまだ手元に残っており、当時の厨房ぶりを存分に発揮した恥ずかしくも懐かしい歴史の一ページをなっている。
 それからというものの俺はAUTOEXEC.BATからバッチコマンドを駆使した複雑巧妙なメニュー項目を呼び出して使いつつもCONFIG.SYSで1KBのメモリにうるさくなり、珍妙かつマイナーなソフトを常駐させたりするMS-DOSの鬼となり、他人が使えないような環境を構築するのに萌えた^H^H^H燃えた(ぷ
 そしてここで身につけたDOSの知識はすぐに16色の魔術「98DOSエロゲー」で活躍し、その後形を変えX68000のHuman68kで生かされるのが1998年、バッチの思想をシェルスクリプトに生かしたのが2000年のAIXでのksh、最終的にNTのWindows Scriptに発展してUNIXに近いような使い方をするようになるのが2002年になるわけだが、当時にしてはまだまだまだ先のことだった。
 オレのインポテンツと童貞人生はさらに続く(笑


最終更新日時:2004/01/27 16:17:33